ギリシア神話とは?
ギリシア神話は古代ギリシア人の神々(宗教)の話で人の口から口へと伝えられていた神話です。
元々、一定の経典(聖書などの教えを記した書)が存在しなかったものであるため、その時代背景や、地域によって話が異なり、変化をしていきました。
そのため、同じ神であるにもかかわらず、様々な姿をもっていたり、同じ話でも色々な異説が存在していたりするのです。
ギリシア神話の一番古い文学的記録は、ホメロスの叙事詩です。
また、すこし遅れて、ヘシオドスが『テオゴニア』という著書で神話を物語っています。
この2人の人物が今、私達が知っているギリシア神話をより明確に形作ったと言えると思います。
ギリシア人の文化
ギリシア人の思想
ギリシア神話は古代ギリシア人の信仰していた神々の話です。
つまり、ギリシア神話とは古代ギリシア人の宗教で、キリスト教でいうところの聖書の話のようなものだったわけです。
この古代ギリシア人宗教は、神の世界と人の世界の境界線がはっきりとひかれておらず、人の世界と神の世界は続いているものと考えられていました。
この考え方があるからこそ、人と神の間に多くの子が誕生したと伝えられているのです。
神が人の姿をしていたとしても神の世界と人の世界が続いているといっても、神と人とは全く違います。
古代ギリシア人にとって神とは不老不死であり、完璧な美しさを持った存在であるのです。
いくら人間くさい神でも、神は人ではなく、力も美しさも素晴らしい存在と考えられていました。
そして、古代ギリシアでは他の多くの宗教のように偶像崇拝を禁止していませんでした。そのため、神を表そうと彫刻が沢山作られました。
そして、神を表現するために完璧は美というものを追い求めます。
神は人を超えた存在なのですから、完璧というものは神々の為にある言葉だったのでしょう。
(その、追い求めた結果が黄金比などです。)
ところで、古代のギリシア人にとって、完璧な美とはなんでしょうか?
神は見た目は人を完璧に美しくした姿をしています。
そのため、人が一番美しいとき、つまり年老いた姿や無力な赤ん坊の姿では神は表現される事はすくないといえます。
そのため、一番力が充実し、まだ老いを感じられない青年のような姿で表現される事が多いのです。
神々は人のもっとも理想的な形として表現されました。
神の世界と人の世界の境界線が曖昧だったと書きましたが、そのため、人々は自分たちの上に続いている神々を想像するために人の世界で優れた人物を見て想像をふくらませました。
この考えはギリシア人の文化に大きな影響をもたらしていたと考えられます。
その代表はオリンピックです。
オリンピックとは、ある条件下において、一番優れた人物を選び出すことを目的として行っておりました。
そうして選ばれた人物はその条件下において、一番神に近いと考えられていたのです。
神々の芸術と精神性
古代のギリシア人は神々の像を沢山つくっていたと”1”でも書きましたが、像が造られるようになってからギリシアは大きくわけて次の3つの時代に分けられます。
アルカイック期
クラシック期
ヘレニズム期
古代のギリシア人にとって、自分たちの信仰している神の像を造っているわけですから、そこには単なる人体を作る以上の精神性がありました。
現在、私達が仏像等を見るときに感じるのと通じる神性がそこにはありました。
単なる芸術作品ではなく、あくまで神であり、信仰の対象としてつくられたのですからそれは当然なことですが。
アルカイック期から時代が進むにつれて、像を造る技術が上がってきます。
より自然に、より美しく、よりリアルにつくれるようになってくるにつれて、はじめ存在していた宗教の精神性の薄れが作品に感じられるようになってきます。
それは、宗教の神秘的な部分がリアルに作ることに出来る技術によって、神秘さが薄れてきたのも原因の一つであると考えられます。
簡単に書くと、
精神性はあるがそれを表現する技術が追いついていなかったアルカイック期
精神性と技術のバランスがとれたクラシック期
技術が高くなったことで精神性が薄れてしまったヘレニズム期
であると考えられます。
このことは、実際に当時作られた像を見ることでよりよく解ると思います。
ギリシアの神の像をみるにあたり、
はじめの約束として、基本的にギリシアでは女神は着衣、男神は裸という決まりがありました。
これは一種の記号的なものであったと考えられます。
アルカイック期にはこの決まりは守られているのですが、時代が進につれて女性像が脱いでいきます(笑)
ヘレニズム期になり、最終的には完全なヌードとなるのですが、その過程ではうっすい衣を纏った女神とか、ほとんど身体のラインが見えているような、そこまでするなら脱がしてしまえ!!っとついつい思ってしまうようなものも結構ありますし・・・
この現象も精神性の薄れから来ているように思います。
オマケ知識1、
ミロのビーナスはヘレニズム期の作品です。
はじめ発見されたときはクラシック期のかと考えられていましたがその後どうやらクラシック期影響の濃いヘレニズム期に制作されたものだということになりました。
ギリシア人が作った像はほとんど残っていません。
今、ギリシア彫刻として残っているもののほとんどがローマ時代に作られたコピー(ローマンコピー)です。
その点ギリシア人が作ったと言うことが解っているミロのビーナスは貴重なものなんですね。
(クラシック期に作られた作品はもっと貴重みたいです。)
オマケ知識2
ギリシアでは完璧な神の像を求めていた訳ですから胸像はありません。
みんな全身像です。
ギリシア神話と西欧文化
西欧はキリスト教が発展してきた場所です。
ちなみに、ココでの西洋とはローマ帝国が国教をキリスト教にした以後の時代とさせていただきます。
そして、キリスト教は一神教、つまり神はただ一柱のみであるという教えであるのに、西欧においてギリシア神話は絵画のモチーフとして現代に至るまで使われ続けてきました。
神は唯一ただ一柱としているキリスト教世界において、キリスト教以外の宗教であるギリシア神話がモチーフとなった絵画は非常に多いです。
それはなぜなのでしょう?
不思議に思われる方もいらっしゃると思います。
・・・と言いますか、私自身とても不思議だったんです。
なぜ、こんな自分たちの信仰している宗教以外の神々が描かれてきたのかといいますと、単純に神としてとらえなかったからなんです。
西欧世界において、ギリシア文化(芸術から学問まであらゆる分野において)は盛んに研究されてきましたので、ギリシア神話のことは西欧の人々はよく知っていました。
しかし、神とはとらえなかった。
矛盾しているようですが実際このようにとらえていたようです。
神を神としてとらえないとは、簡単に言えば、たとえば愛の女神ビーナス(アフロディテ)は愛そのものだと考えたわけです。
つまり、人の目に見えない現象や、表現できないものを視覚的に表す手段としてギリシア神話の神々を記号のように使ったわけです。
ギリシア神話の神々はあくまで宗教画としてではなく哲学的な思想を表す手段として使われたわけですね。
神々の呼び名
ギリシア神話はギリシア人だけでなく、その後古代ローマ人によってもラテン語の名で呼ばれ、
神として崇めれていました。
そのため、同じ神であってもギリシア語で呼ばれるかラテン語で呼ばれるかで名前が変わります。
美術作品ではラテン語や英語で表記されているものが多く名前の違いを知ることで、
ギリシア神話の世界が楽しめると思います。